テレビを盲信する問題


この問題は、結局以下の結論に到達する。


「ウソをウソと見抜けない(ry」



テレビも他の「下種な」メディアと同様、ウソと真実が入り混じっているし、
どのような情報を取り上げ、どのように見せるかも恣意的に行われている。


だから、相手にしなかったり、単にネタとして笑ったりするような
メディアリテラシー」を持たない人は、痛い目にあうよ、という話。


注意したいのは、「メディアリテラシー」というのは
その「内容から」「ウソと本当を見分ける力」「ではない」ということ。

そのリテラシーは、取り上げられているものごとそのものへのリテラシーだ。



メディアリテラシーとは、以下の能力を指す。

1)その取り上げられ方や周囲の状況、社会情勢その他の条件から、
  取り上げられている内容の真偽やおかしなところ、まっとうなところを見切る能力

  インターネットの普及により、実際にこの能力を行使することは可能になったが、
  それでも時間と手間のコストがかかる、ということは重要。

2)そもそもメディアのいったことを盲信しない能力
  メディアはウソと本当が入り混じっている前提のもとにメディアと付き合う能力
  その真偽を判断することは、完全にはできない、という前提で立ち回る能力

2-1: 限定的に信用する、という能力
  とりあえず信じてみるが、ウソだとわかっても致命的な被害が及ばないような対応をする
2-2: メタ視点にする能力
  扱われている内容をそのまま検討せずに、
  たとえば「内容をあつかっているメディア」まで含めて俯瞰する
2-3: ネタにする能力
  内容についてまともに論議するのではなく、
  メタ視点からそれが「面白いか面白くないか」「笑えるか笑えないか」によって
  価値を判断する


1)と2)の両方を、状況に応じて使い分けることがメディアリテラシーといえるのでは
ないだろうか。



さて、例の納豆の問題だが、

わたしの場合、ダイエットの知識をベースに、この内容は信憑性に欠ける、と考えた。
これは、メディアリテラシー「ではない」。


メディアリテラシーのある人は、おそらくこういう対応をする。

  • 足元を見て高くなったとはいえ、3パック200円で買えるなら、話題の商品としては十分に安い。また、ダイエットできなくても、食べてからだに悪いわけじゃないからまあ買ってもいいか。
  • とりあえず、納豆に殺到する連中をデジカメでとってブログにアップしよう。ほんまおまいら懲りもせず...
  • 今のうちに納豆会社の株を買っておこう。ただし、どうせ一過性だから早々に利益確定売りしとかないとな


メディアリテラアシーのある人は、信用するとかしないとかそういうことは関係ない。
ただ、納豆は買うことも多い。



本当に信用してしまった人も、信用判断から虚脱しているひとも、
納豆は購入するので、ビジネスのトリガとしてはどちらも変わらないように見える。

しかし、信用してしまった人はその内容から購入するのに対し、
虚脱組は、ネタとして楽しめるかどうかが購入のポイントになる。

つまり、家族の団欒の夕食時に、話題のネタになるのかどうかが重要というわけだ。