まどかマギカを見ました

今更ですが見ました。
TVシリーズ→映画3本→マギアレコード まで。
前知識としては、
魔法少女はなんか消耗しつくすと魔女になる無限ループってことだけは
聞いたことがあった程度。


おおざっぱな感想:
エヴァの後継にして、より(男性にとっては)感情移入ができない作品
魔法少女のシステムの設定はよくできているが、もうちょっと。
・映像表現としては新境地を開拓したであろう
 (「物語」シリーズを見たことがあったので、シャフトの表現は先に知っていた)
・地上波に流せる虚淵玄ワールド
 (うろぶちげんって読むのね。ずっとこえんげんだとおもってた)
 (沙耶の唄は知ってます)


●TV6話
本体がソウルジェムであることが明らかになる回だが、
なぜそんなに皆がショックを受けたのかが共感できなかった。
精神と身体が分離する考え方は、たとえば攻殻機動隊なんかでもある。
ソウルジェムが危なっかしくないのか?という点を除けば、
キュウベエの説明もきわめて合理的である。
TV版を最終回まで見た後も、
ダイジェストの映画版を見た後も、
その違和感がずっと残っている。

別にそれでいいのでは?

とくに杏子がソウルジェムが本体であることを嫌悪しているのが
違和感が強かった。

肯定的に解釈するならば、
ソウルジェムが本体であることそのものよりも、
それをキュウベエが魔法少女に知らせていないことを嫌悪していたという解釈もできる。
そもそも契約などという対等な関係ではないことを理解していなかったのかもしれない。

 

因果律エントロピーに触れるのに時間停止の解釈がステレオタイプすぎる件
●時間停止とはどういう状態であり、能力なのか

そのなかを自分だけが動ける、ということを考える前に
時間が停止している状態とはなにか、を考える。

アニメや漫画などにおける時間停止状態とは、
・すべての「もの」が空間上で位置が変化しない
・少なくとも視認はできる
・大体において音も聞こえる
・大体の「もの」には触れられる
・大体の「もの」に力をかけることができ、その「もの」は移動したり変形したりする

そこに主体がいる場合、
・主体は時間が止まっていないときのように行動できる
・主体が「もの」に直接、間接に触れることで力をかけると、移動したり変形したりし、主体が接触から離れると、その位置で再び固定する
・銃を打ったら、弾丸はバレルの外までは出てくれる。なんでやねん。

まぁ代表的なのはDIOのザ・ワールドだ。

軽くググった感じでの解釈としては、
自分が超高速で運動しているからだ、との事だが、
・光速に近づけば近づくほど、さらに加速するには多くのエネルギーが必要になる。
・止まるにも向きを変えるにも多くのエネルギーが必要になる。慣性があるからだ。
・その加速に肉体や服は耐えられるのか
ワケガワカラナイヨ、教えて偉い人!

そのうえ、ほむらの時間停止能力と、
タイムトラベル能力にはそれほど関連性はない。
タイムトラベル能力には、まだSF的解釈の余地があるだけに、
時間停止のほうがチャチさがどうしても出てしまう。


●世界のルールをなんやかんやするという方向性は、
 ゲームデザイナー的視点を一般に啓蒙するという社会的役割を果たしていると思う。

世界のルールを考えるのは、TRPGやカードゲームのベースを考える工程に似ている。
また、ケムリクサは見たので、ああそこにつながっているんかな、って思ったりします。


●記憶とはどういうものか、はもっと慎重に扱いを考えたほうがいいのかもしれない

時間操作と同じくらい、ご都合主義的なところがある気がする。


●マギアレコードはあれで終わらないよね

ゲームが原作で、ゲームは2部があるらしいですね。


●で、金は?

家族がいたりいなかったりするが、いずれも皆家がきれいなんだよね。
どんな境遇でも、金には困ってないのか