電王戦の結末

衝撃的な結末は適当にググって見てください。


AWAKEの弱点の捉え方:


つまりセキュリティホール
これはいいたとえ。


http://www.computer-shogi.org/blog/denosen_final_match_5/


ハッカーは、セキュリティホールを突くものだ。
それが仕事ならなおのこと。



電王戦とはなんだったのか:


まずこれを見るといいかと。
Finalが明らかにしたものが、ここで1年半前に提示されていた。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm21779015


この動画のシリーズ、かなり面白い内容をわかりやすく解説しているのでオススメ。
キーワードは、シンギュラリティ。


で、
ルールとしては、棋士のショウだと、この時点で言っている。
コンピュータと人間の勝負ではない、と。


んで、
ここに参加している人の思惑がそれぞれ違っていたりするから、
なんか噛み合っていない感はある。


それは、「将棋で勝負」するとは、どういうことか、について、
主に下の3つの捉え方があるからなのではないか、と思う。


a) これは、人間とコンピュータの「将棋を読む力」を競うものである。
b) これは、人間が、コンピュータをいかに攻略するかを競うものである。
c) これは、人間とコンピュータの「競い方」を試行錯誤するものである。


a) において、コンピュータは、人間を凌駕しつつある。
b) においては、コンピュータ側に穴があれば、人間がそれを攻略できるよう、ルールができている。
c) の視点に至った人は、わずかだ。


人間がa)で考えるかb)で考えるかの葛藤を仕込んだのは、
ルールを策定した川上氏の意図だろう。


第1回の電王戦は、b)で始まったといえる。


第2回の電王戦では、そもそもb)に踏み出すか、というのが完全に個人の考えに委ねられた。
その点で、阿部氏はともかく、塚田氏の選択(持将棋による引き分け狙い)は、
a)で勝てないことを認めた上で、b)に移行した例だ。


貸出ルールは第3回で制定された。
これにより、b)の姿勢で挑むための全面的バックアップが運営からなされた。
しかし多くの棋士は、b)への移行をためらい、a)で挑んで敗れた。


Finalでは、
はじめからb)で挑むこととなった。
世間的にも、a)では勝てない、という空気になり、
b)を選択する棋士への批判は当初ほど大きくなさそうという見込みになっていた。
5人集まって対策を練るなどといった取り組みは、
知識や技術面の習得だけでなく、b)を選択しやすい空気の醸成にも効果的だっただろう。
「最後」だと強調しているのは、この選択は1度しかできないからだ。


さて、
プログラマ側は、どうだったのか。
ルールの文面は理解できても、
それが何であるかは把握できないまま、
棋士がa)で挑んでくる、という根拠の無い期待で対峙していなかったか。
まあ、b)で来る選択肢を認識していても、ルール上、対策はほとんど取れないのだが。


a)で来るしかありえない、棋士とはそういう存在だ、と考えていた:巨瀬氏
b)で来るかもとは思っていても意味を理解していなかった:西海枝氏
a)であるべきだが、b)が選べればb)を選ぶのが道理。b)の選択肢を棋士に与えたこと自体が問題:平岡氏
b)が無為に終わるようにプログラムすべきだ。バグもセキュリティホールも無い、もしくは有意でなければ、貸出期間があっても棋士はa)で臨むだろう。:磯崎氏
舞台は主催が作るもの。自分はその上で踊るだけ。だからせめて明るく振る舞う。:山本氏


これは、ダイエットしている人の横にケーキを置くのと似ている。


ダイエットする人は横にケーキがあっても、食べるなんてありえない。:巨瀬氏
自分ダイエットしたことないんで、ケーキが横にあるのがどれだけつらいとかわからんです:西海枝氏
そもそもダイエッターの横にケーキを置くっていうルールがだめ。ずるい。:平岡氏
食べてもそんなに太らない、もしくは、食べたくても食べられないケーキを開発すべき。:磯崎氏
ケーキの扱いは主催者側の問題。自分は頑張って美味しいケーキ作るだけ:山本氏


さて、c)をきちんと考えている人は、少ない。


典型は、川上氏の、貸出ありを始めとした一連のルールだ。
しかし純粋な棋力のぶつかり合いを降りる選択肢を同時に与えている点で、
毒りんごと言える。
この背景には、川上氏自身も「もう棋力そのものは人間はコンピュータにかなわない」という
認識があったと予想される。


この点ではまだ磯崎氏のほうがマイルドで、香車落ちやおもてなし定石などの提案をしている。
が、第3者からみて上から目線がわかる構図は、普通の感性のひとには受け入れられないという大きな欠点があるし、
「もう棋力そのものは人間はコンピュータにかなわない」という認識は、川上氏と変わらない。


唯一、森下氏のみが、
「人間の棋力はそんなもんじゃない、もっと上だ」という認識でもって、
c)に向かった人だったように見える。


人間が、生身の体であるが故の制約を補完することで、
棋力そのものについては、コンピュータにはまだ負けていないのだと。
晦日のリベンジマッチは示していた。


森下氏を支えたのは、ハイテクでもコンピュータでもなく、
2組の継ぎ板と、時間切れ後は1手10分というルールだった。


人間がコンピュータに将棋で太刀打ち出来ない時期は近いだろうが、
まだその時までにやれることはあるんじゃないだろうか。