本「日本の競争戦略」

http://shimizu.typepad.com/vietmenlover/2006/10/post_1.html

を見て、まずツッコミ元から読まねば、と思って読みました。


第3章までは興味深い内容で、読み進めていたわけですが、第4章でいきなり非常に強引な展開になり、数ページで読むのをやめてしまいました。


第3章までの流れは、ものすごく簡単に書くと、


日本の競争優位は、政府の調整のもと、傾斜生産や産学協同やケイレツやカイゼンなど、競争を避けて調整を行うことでリソースの効率運用を行うことによりもたらされたと認識されていますが、それはちがいます。
多くの企業は、世界的に見ても競争力がありません。ソニーやホンダのような会社はごく一握り、かつ例外です。
実際は、競争を制限することによる付加価値の均質化とイノベーションの不足が、多くの企業に、国際競争の上で競争劣位をもたらしているのです。
事実、日本で成功した企業は、「日本型政府モデル」から外れた企業ばかりです。


ということを、実例をもとに示しています。


ここまではいいのです。
まあ、実例とその解釈には場合によっては異論もあるかもしれませんが、重要なのは「日本型政府モデル」は成功していないじゃないか、というその視点なので。


で、第4章。

ある国の富は、最終的には、その国の企業が競争を通じて達成する生産性に依拠している。

ポーターが言っているらしい。(注にそう書いてある)
なにが言いたいの?

一国の経済全体における生産性は、その国の人的・資本的、物的資源一単位当たりで生産される財やサービスの価値という尺度で図ることができる。

難しく書いているが、
その国の「生産性」は、単位リソース当りいくらの付加価値を生み出すことができるのか、ということ。
ということか。


式にすると、
(その国の生産物の総売上金額)/(その国のリソースの総評価金額)
ってことですよね。


そして、その付加価値は、作れば自動的に決定されるわけではない、というのがミソらしい。
まあ、そこはわかる。
いくら頑張って作っても、市場ニーズに合致しなければそれは安く売られるしかないから。
で、そうなってしまうと、総売上金額が減少するので、その国の生産性は低く見積もられる。


つまり、ここで暗に主張されているのは、
「生産リソースの生産性は、同じ量のものを生産しても、市場ニーズによって変化する」
という、非常に難儀なことだ。


さて、ここで書いた、単位リソースという言葉だ。
この本では、「人的・資本的・物的資源一単位」と記載されている、これだ。
この一単位って、なにで規定するの?


労働と、資本と、生産設備を、ひっくるめて考えようとしたら、結局評価「金額」しかない。
だから、上の式では、分母に「その国のリソースの総評価金額」と書いた。
これ、正しいの?
だって、評価「金額」は、市場によって変動するでしょ。
その市場評価は、そのリソースの生産性に依拠するわけだから、「その国のリソースの総評価金額は、その国の生産物の総売上金額を係数に持つ」ことになる。


実際の世界で、高い付加価値を生産する安い生産リソースが存在するのは、市場の調整機能にタイムラグがあったり、地理的障壁があったりするからで、健全な市場においては、高い付加価値を生み出す生産設備は高い評価価格が付く。
間違ってます?


さてここまで来れば、この本が本当は主張したいことはこの4章の論旨展開ではだめだということが見えてくる。


ぶっちゃけていえば、この本は、
・市場は開放しなさい。規制は撤廃しなさい。
・企業はイノベーションしなさい。
ということを主張したいだけなのだろうが、


この本での論旨展開:
・頑張って作っただけではダメで、高く売らないと生産性は上がりません。高く売る努力がイノベーションです。


まっとうな解釈:
・安いリソースで高い価値を生み出しているのは市場の持つタイムラグや地理格差のせいです。いまはいいかもしれませんがそのうち市場調整が働いて埋まりますから現在の優位はそのうち勝手に埋まります。だから、さらにイノベーションして、その市場調整の不完全性に基づく利ざやを稼ぎなさい。これは永遠に続きます。


確かに結論は同じことになるけどね。


「永遠にイノベーションを継続できる体制を作らないと市場で成功できない」


なんか賽の河原の石積みと変わらないよねぇ。あーやだやだ。
新しいものを生み出すことは大好きだけど、永遠にそれをやらなきゃならないのはうんざりですね。



一応さらに書いておく。
一個人、一企業としてはこれはうんざりなことだ。
しかし、政府の役割として考えれば、変わってくる。


政府としては、
イノベーションをおこす企業が、入れ替わり立ち替わり出てくる国づくり」
をやればいい。


1つの企業が繰り返しイノベーションする必要はないのだ。
ソニーの例がいかに異端であるかは、「イノベーションのジレンマ」で繰り返し述べられている。
あんな会社はおかしい。
ソニーには何度か仕事で行ったことあるけど、あの会社ほど、社員が楽しそうに仕事してる会社はない。
ま、2000年以降はその印象も薄れたけど。


しかし、財閥やら資産家やらがいると、
「お前ら10年くらいで会社たたんでくれんかね?」
とは言えんでしょ。
日本政府は、言えなかったんじゃないかなぁ。


たとえば、1つの会社が長期間存続できないような制度や慣習を作ってしまえばいい。


単純に、会社は設立から存続まで15年のみ有効とか、
屋号の継承を禁止するとか、
社長の任期が制限されているとか、
きちんと考えたらある程度までは出来そうだ。


でも一番有効なのは、エンジニアの流動性を高めることだろうけどね。
これは、イノベーションの源泉が、大抵は現場の思いつきから生まれるという、
根拠のない前提に依存してますが。